こんにちは。如月ゆう(YOU)です。
今日は、「当たり前」という状況、感情が引き起こしてしまう様々な弊害ということを
テーマに話をしたいと思います。
よく、海外では電車が遅延するのが当たり前と言われますが、
逆に日本では、電車が時間通り来ることが当たり前のことですよね。
「当たり前」というのは、その状況に、慣れる、ということになり、
慣れは、「感謝を忘れる」という状態をもたらします。
外国では、電車がちゃんと来ないことが当たり前だから、
ちゃんと来たときに嬉しい、となる、ありがたい、となる。
でも日本では、電車が時間通り来て、ありがたいという感情になる人というのは
とても珍しいのではないでしょうか・・私自身もそのような感情は生まれず、
来ることを当然のことのように思っています。
そして、電車が時間通り来ることが当たり前だから、
もし遅延したような場合、車掌さんが何度もお詫びしていたりとか、
怒り出して駅員さんに詰め寄るような利用客もいますよね・・
「ありがとう」の反対語は「ごめんなさい」ではなくて、
「有難い」すなわち滅多にないこと、ということの反対語だから
「当たり前」なのですよね。
このことは、人間関係全般においても当てはまります。
例えば、なかなか会えないとか、なかなか電話で話ができない恋人がいた場合、
なかなか会えなかったり、話せなかったりすることが当たり前ですから、
会えた時、話が出来た時というのは、とても嬉しく幸せなことです。
でも、当たり前のように会えたり、電話で話ができたり、という場合、
相手の都合が悪くて会えなかったりすると、なぜ?と不満がでてきてしまうものです。
また、会ったり電話をしていても、会えること、話せることが当たり前だから、
その時間を大切にする意識が薄らいでいて、ケンカになりやすかったりもする。
皆、足りないことを満たそうとしますが、
足りないことこそが、当たり前でないことこそが、
求め続けられることこそがとても幸せなことだったりするんです。
「満たされている」ということと「足りない」ということは、
正反対であるのですが、どちらか一方だけを求めて満足できるものではなく、
「満たされている」状態を味わいたいなら「足りない」を知らなければ味わえないし、
その逆もしかりなので、
どちらもあるのが自然なこと、満ちている時は今は満たされているな、
足りない時は、今は足りないんだな、
両方あるのが自然だし、どちらかにずっととどまっていることはないんだよなとフラットに考えたり、
足りないから求められるんだなっていうことに気づけると
現実の捉え方も変わって、そうすると幸せの感じ方にも変化があるんじゃないかなと思います。
当たり前と思わず、有難いことなんだよなと感謝も忘れないでいれたらいいですよね。
素敵な未来は今日の積み重ねから。今日も素敵な一日をお過ごしください!
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